(第11回) ”小林御嶽神社”

「信仰の山」あるいは民謡「木曽節」で親しまれる木曽の「おんたけさん」は如何にして現代我々の心の中にいきいきと受け継
がれてきたのであろうか。御嶽の霊峰の空気に「ろっこんしょうじょう」とゆったりした掛け声がひと声、ひと声こだまし、白装束の行者姿の講の人々が山頂を目指し歩を進める其の信者の登拝する姿が後を絶たないこと、木曽御嶽山の信仰の源は、そし
ていかにして発達したか。一口に言うならば、木曽御嶽の信仰も他の山嶽信仰と同じように、原始的には山そのものを崇拝する
とういことに出発したもので、わが国の神話も高天原から始まり(ギリシャの男神女神はオリンプス山の頂きに住むと云い)古代神々
は山上に住み給えりといった、この思想を通じて古代人の山の憧れを知ることが出来る。そして山祇神水分神(ヤマツカミミクマリノカミ)
(木曽川の源流)の信仰が生まれるに至った。
主祭神=国常立命(クニトコタチノミコト)(天地の中心にあって永遠に天地を主宰する神)
合祭神=少彦名命(スクナヒコナノミコト)(里宮)、大己貴命(オオアナムチノミコト)(若宮)=大国主神
国作りの神=国土修理の神、医薬の神(百草、奇応丸が伝えられている)
その後、修験者の支配にうつり木曾御嶽独自の発生をみるに至ったものと考えられるが、年代はつまびらかではない。
御嶽登拝が盛んに行われるようになったのは室町中期の頃と推測される。
「御嶽縁起」=そもそもこの山と申すは峯高ふし(3,063m)四時雪をつらぬき谷深ふして不断と霧をこむ。一度歩みを運ぶ輩は
諸願立所に成就し現世にては安穏を得、快楽未来にては九品浄土に生まれんといった現世利益極楽往生の信仰と云う。
小林御嶽神社=明治二年壬己十月朔日、信明霊神(大願主鈴木喜久エ門邦馬政常、明治四年四月二十四日神退行年五十六才)
と祭主(神宮)道祖土常陸信親によって彦地山に鎮座された。
当村願主鈴木邦馬、当村世話人鈴木三右衛門、山口八左衛門が拝殿建之と記せられている。
昭和五十九年甲子七月九日 再建される。     (「参拝のしおり」より)

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新しくつくられた石碑

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