(第9回)”道作古墳群”

現在、小林小学校のある地域を彦地山と言い、昔、高貴な人が住んでいてその人の墓が道作古墳だと先輩たちは良く話されていました。
小林は、市内で最も古墳が多く確認されており、道作の近くには馬場古墳・駒形古墳(2基とも前方後円墳、未調査)があり、更に駅の近くには浅間山古墳群(円墳2基、未調査)、鶴塚古墳(円墳、昭和46年調査後消滅)、小林古墳群(円墳4基、昭和49年調査後消滅)、そして平岡地区には馬込古墳群(円墳5基、未調査)、西谷津古墳(円墳、未調査)、東古墳(円墳、未調査)が確認されています。特に鶴塚古墳は県内最古と考えられる埴輪(5世紀初頭)が出土していて注目すべき古墳と言われています。
道作古墳群は円墳13基、前方後円墳7基からなり、1号墳は墳長46メートル(幅33メートル、高さ4メートル)の前方後円墳で一番大きい古墳です。この1号墳を、平成9年2月に印旛郡市文化財センターが史跡保存を考慮した周溝確認調査をしています。塚全体ではなく塚の周囲を発掘したところ、下総型円筒埴輪がほとんどは小破片ですが、いろいろな埴輪が出てきたようです。
出土した埴輪の年代から、6世紀後半(古墳時代の後期)から7世紀初頭に築造された古墳で、古墳そのものの性格についてはほとんど明らかにされていません。しかし、これを日本の歴史にあてはめてみると、蘇我氏が政治の主導権を握り、聖徳太子が摂政となる時期であり、大和朝廷が中央集権体制を固めていく時代でありますので、地域を支配していた豪族の墓であることには変わりないようです。やはり中央豪族との政略的象徴であるのか、解明すべき歴史事実が多いようです。
(一部「印西の歴史」参照)
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