(第19回)”鳥見神社の水徐堤普請絵馬”

                            (印西市史編纂委員 五十嵐行男氏 寄稿)

寺院や神社、小祠に祈願やお礼のために奉納する絵入りの板額を絵馬と言う。 古代、馬は神を背に乗せて招来する神聖な動物とされ、有カ者は諸々の願いをこめて生馬を寺社へ寄進した。しかし神馬として寄進された馬を農耕や運搬に使うことはためらわれ、寺社は飼育料を付けて寄進するよう求めることもあった。

このような事情もあって、生馬は木や塑像による馬形や馬を描いた絵が奉納されるようになったと考証されている。古くは奈良時代の寺社遺跡から発掘されることがある。 願い事や報恩を馬に託していた習俗が、馬との関わりを越えて具体的な祈りの内容を表現するようになったのは、室町時代になってからである。江戸時代になると、戦勝祈願、戦勝報告が武者絵に、航海安全が船の絵に、俳諧や算学の上達を俳句や数式の文字や幾何学模様の絵馬に託されると言ったふうに多様化したが、絵馬と言う呼称は変わることがなく、合格祈願に代表される現代の絵馬に継承されている。初期には願人が自分で書いた素朴なものが奉納されていたようであるが、のちには職業絵師に託されていった。

それらの絵が奉納された有力な寺社はさながら美術館の趣を呈し、成田山に見られるような「絵馬堂」が建立され、絵師たちは技を競った。それらの絵画は美術的に優れたものであることは言うまでもないが、往昔の風俗、習慣、信仰、生産技術、芸能などの有り様を伝え、興味深いものがある。19-1

写真は小林・鳥見神社の賽銭箱の上に掲げられている、水徐堤普請絵馬と言われているものである。裏書きには、天保11年(1840)に印旛沼の堤が決壊する大洪水があり、隣村笠神の五斗蒔堤が決壊の危機にさらされたが、当鳥見神社の神力加護により水難を免れることが出来たとして、笠神村の農民がお礼にその時の水防工事の様子を描かせて奉納したと書かれている。

土俵を運ぶ、杭を打つ、提灯をかざす農民。現場監督の村役人、視察する領主役人などが詳細に描かれ、緊張感が漲る名品である。なお、隣村物木の龍湖寺には安産・子育て祈願の大絵馬10点が公開されており、参拝をお勧めしたい。