2024年小林夏祭りが始まりました。

江戸時代後期から小林地区で伝統を引き継いできている「夏祭り」が各町内ごとに今年も開催されるようです。まず先陣を切って、台方八坂神社にて祇園祭神事が執り行われました。小林地区の「八坂大神」を代表するような形でしょうか、7月7日に「山祭り」として実施されました。                  広報担当:下田

来週14日の祇園祭模様を空から追いかけようとドローンがすでにホバリング飛行しながら待機してました。のぼり旗の「坂」左側に見えるヘリコプターがドローンです。

 7月13日には、例年のとおり第二週目土曜日 「馬場八坂神社祭礼」が行われました。

馬場町内会の夏祭り(馬場八坂神社祭礼)は、梅雨真っ盛りの週末かと心配しておりましたが、晴れ間も見えてきて、暑い陽射しの中で行われていました。午前11時から神事が始まり、引き続き神輿渡御(巡行、練り歩き)に移り道作古墳を経由して「道作」、JR成田線に向かいました。ポスターの渡御(練り歩き)の経路図を見ると相当長い距離のようで、およそ6kmにも及びます。それもアップダウンが多い路が多く神輿を担いで歩くのは余程の健脚でないと相当苦労されたのではないでしょうか。

馬場地区だけではなく、翌日以降に控えてる「台方」「砂田」も含めて小林地域は台地と田畑が連なっており、いわゆる「谷津」が多く一帯の地名も「作」(江戸時代からの地名で”谷津”の同義語として馬場地区では道作、花作、仁作などがあります。)

 

 

宮出しの前に11時より「神事」が執り行われました。鳥見神社に併設されている馬場八坂神社の社前に神輿が置かれています。

12時に「宮出し」。子どもも大人も元気よく、「山車」「神輿」が出発しました。

しばらくすると、市指定文化財の「道作古墳1号墳」や4号古墳、5号古墳を右手に見て進みます。これから右折するといよいよ「道作」と呼ばれる谷津田地域に入り、予定では7時間かけて谷あり山ありのいわゆる「谷津」の道を進んでいきます。

 

この坂を上れば小林小学校の正門前です。しかし予定では午後7時頃宮入点に到着予定でしたが、もお6時になろうとしてました。これからまだ3時間くらいは掛かるかもしれません。
やはり暑さの影響でしょうか、「宿」での休憩時間も長かったかもしれませんね

 

7月14日 八坂神社祇園祭り(台方・牧の里中町内会・八坂神社保存会)

朝から正に梅雨らしい天気で雨が降ったり止んだりでした。午前11時から神事が始まり、引き続き12時に「神輿」「山車」の宮出しに移りました。江戸時代から行われてる祭りの伝統でしょうか、雨のことには全く触れることなく淡々とスケジュールが進行していきました。

宮出し前に行われる「神事」

小林八坂神社前に勢揃い

練り歩き(渡御、巡行)に向かう山車、神輿を見送り

小林八坂神社から宮出し

海抜約20mの谷津(江戸時代から井戸作と呼ばれている)の「台」方から、小林中学校のグランドの北側を一気に竹林の下り坂道を過ぎると、休憩の準備をしている「一番宿」に着きます。一番宿辺りも谷津地形になっており、「宮作」と呼ばれています。ちょうど八坂神社、稲荷神社、天神様の西側 の谷部分になっていますので、宮作と呼ばれてることが想像できます。

一番宿、庭の芝にて思い切りの「あばれ神輿」(八坂神社の祭神である牛頭天王”ごずてんのう”)は荒々しいことが好きだったとか)が早速始まりました。

一番宿で神事、神輿、山車でのお囃子を終え、近所の隣組の皆様の協力を得て食事・休憩のあと、二番宿に向け出発をしていきます。まだ昼頃ですが、これから暗くなり、夜遅くまでの旅に出て行きます。

 

小林駅南口駅前ロータリーとして整備され、駅前階段下には6店舗でしょうか?キッチンカーが並び、人が入れ替わり立ち代わりの賑わいを見せていました。

小林駅南口駅前ロータリーとして整備され、駅前階段下には6店舗でしょうか?キッチンかーが並び、人が入れ替わり立ち代わりの賑わいを見せていました。

新しくできた南口ロータリー周りは、お祭りイベントの山車と神輿の絶好の合体場所と化していました。

暗くなってからはロータりーを囲んで5台か6台の「山車」が勢揃いして、お囃子の音が響き渡り駅前一帯が盛り上がっていました。中央部では神輿の若い衆が大いに暴れまくっていました。思わず、居酒屋から飛び出して見物に切り替えです。こんなに盛り上がりを見せる南口を見るのは初めての経験です。「山車」は台方町内だけではなく、近隣の馬場、砂田、中根町内からも応援・競演に来てくれてるそうで、以前から毎年協力体制が出来上がってるようで、個人的に知らなかっただけで、新たな発見でした。

7月20日(土曜日)は、7月第2週から3週にかけて開催された小林地区の「夏祭り」の最後を飾るのは砂田町内会の「砂田八坂神社祇園祭り」です。                なお、10月5日(土)には昨年までは中断してた「牧の里南町内会祭礼」が行われる予定とのことです。

城山公園の近くにある愛宕山山頂の「砂田八坂大神」

会場の城山公園に掲示された「開催案内」

今日7月20日(土曜日)は極めて暑い日となりました。この為でしょうか、会場の城山公園のテント前には「ミストシャワー」が設置され、霧状の水滴により体温の冷却、、周囲の気温低下などを図り子どもも大人も気持良さそうにシャワー回りに集まっていました。今年のイベント開催の必需品になってるようです。テレビ画面のイベント放映でも良く見かけました。

 

神事が城山公園において行われました。

神事が終え、城山公園から「山車」「神輿」の宮出しです。

 

砂田町内を巡行し、宿となっている「うさぎの家」に向かいます。

右側のテントには、高齢者中心の「結」の会のメンバがボランティア活動として受付などをサポートしてました。

この会は、毎週土日曜日に城山公園で、ラジオ体操や、夏祭りにはヨーヨーふうせんすくいなどでイベントを盛り上げているようです。

 

宿となっている「うさぎの家」の庭にて暴れ神輿が始まりました。 

◆神事の前に、会場近くの愛宕山にある「砂田八坂大神」を久し振りに訪れましたが、以前から急な階段の頂上にある神社での「神事」「宮出し」「宮入り」など極めて大変だなあと思っていました。いつからかは確認していませんが、余りに危険だったせいなのか、最近では事前に山車、神輿は城山公園に事前に運び出され、「神事」「宮出し」「宮入り」行事はこの公園で行われています。

ミストにより身体の体調管理にも配慮してるようでした。

愛宕山の急峻な石段の上に「砂田八坂神社」がありました。

砂田八坂大神のある頂上付近からの眺望は素晴らしい。

 

やはり神社までの上り、下りの階段は正に怖いくらいの傾斜、形状で足元から目を逸らせることが出来ないくらいでした。良くこの場所に社を創建したなあと感心しています。一方で、頂上近くから中根方面(南西側)を見る眺望は素晴らしく、小林地域でもお薦めの美しい景観の一つと思っています。今の時期は辺り一面に稲の緑が映え、四季折々の景観を味あうことができます。江戸時代に今の砂田八坂大神か、またはその前身の社があったかどうかは、今時点では確認が取れませんが、すぐ並びには「小林城」、東側の本埜、利根川方面を観ると「笠神城」、南側には「中根砦」があり、小林、本埜地域の高台(海抜20m~30m)には、「城」「寺社(寺と神社)」が数多く点在しているなど江戸時代からの歴史を感じます。

この神社のある愛宕山は、港区にある江戸時代の曲垣平九郎(馬術名人)が将軍の前で馬で上り下りをしたという海抜26mの愛宕山に由来してるかと思うが、小林の祭りの歴史も江戸時代からの歴史があるみたいだし、小林地域の鎮守様的な存在の鳥見神社が創建は、紀元前(崇神天皇の時代)という歴史があるし、小林の祭りの守護となっている八坂神社も平安時代からの由緒があり、祭礼として祇園祭が今も日本三大祭りとして人気があり、小林の祭りも「小林八坂神社祇園祭り」として途中地域割の変更やら、人口の減やらがあり内容・運営方法が見直されたりしているが、江戸時代から永く継続してるようである。新たな住宅街・町内会も創設され祭りの形態は多様化・変化していくと思われるが、「祭り」としては、今後も未来永劫、伝統として引き継がれていくことを期待しています。

一方、2万7千年前の旧石器時代からの遺跡がそこかしこにある印西は、今は全国的に見ても「データセンター」「システムセンター」が集中しており、災害が少ないこと、電力供給が円滑なことなど立地条件が極めて優位で、IT都市化の波が押し寄せてきているなか、「新」と「祭りなどの伝統」の両面を兼ね備えていければと願っています。特に小林地域は旧石器時代、縄文時代、弥生時代から現在に至る3万年間の歴史を身近に感じる地域なので、古い伝統を守って行ければと願っております。

山車と神輿による巡行を終え、城山公園に戻り、ミストで身体を冷やし、更に暴れ神輿で汗を流していました。

山車と神輿による巡行を終え、城山公園に戻り、ミストで身体を冷やし、更に暴れ神輿で汗を流していました。皆さん楽しそうな表情ですね。